▶︎乗馬体験

夕食までの時間を乗馬で楽しもうと、弟が馬3頭を調達してきた。

30分ほどゴビ(砂漠のこと)まで馬に揺られて行くのだが、何故か私の馬だけ手綱を少年が持っている。

理由は私だけ外国人だから事故が起きないようにという配慮のようだ。

 

少年は10歳で夏休みが3ヶ月間もあるので放牧された馬、牛、羊、ヤギを集める仕事に従事するのだそうだ。

因に馬に乗る練習は3歳からだと聞いて、その後ナーダムの競馬では6歳7歳8歳の子供だけが選手登録をすることができるとういうことを知った。

 

私の馬の手綱を持つ役割をしてくれた少年。

年齢を聞くと10歳で、長い夏休みはいつもこうして家族の手伝いをするのがモンゴル少年は普通だと知った。

乗馬の料金は3頭で1000円と低料金であり、連れの兄弟に断って私は少年にチップを1000Tg(100円)

上げたら困惑顔で受け取った。

 

夕食後、キャンプのフェンスを跨いでゴビへ腹こなしに散策をした。

そこには風紋の美しい砂山が続いていた。

ゴビとは砂漠のことで、モンゴルでも国土の砂漠化が大きな問題になっている。

日本の少年少女がモンゴルの砂漠に植物を植える活動をしたというテレビの映像を興味深く見たことがある。

▶︎鮮やかなサンセット

目に鮮やかなサンセットをシルエットのゲルホテルを入れて写真に納めた。

 

昼間は頬をなぜる乾燥した風が心地よかったが、夜が深くなるにつれ気温が下がり、

夜9時頃女性がストーブに薪をくべに来た。

驚いたのは午前2時頃、入り口をノックするので訝しく思いつつ開けると同じ女性が消えたストーブに再度点火しに来た。

火が消えたことを何故知っているのだろうか、ゲルの天井に突き出ている煙突で識別しているのだ。

それにしても徹夜でゲルの暖房管理をしてくれているわけで有り難かった。

▶︎ゲルホテル

翌朝はトイレゲルで洗面歯磨きをすませ、目的地のハラホリン(旧名カラコルムで1235年モンゴル帝国の2代目ハーンであるオゴタイが建設した)へ向かい国道をひた走る。 舗装道路から草原へ下りたりまた国道へ戻ったりして進んだ。

 

草原に突然街が現われる。

ここが昔の宮殿跡(エルデニ・ゾー)であり重要な観光資源である。

ウランバートルからここまで350キロメートル(東京—名古屋間)。

ここを見学してさらに50キロメートル走り今夜の宿泊地はドリームランドリゾートという清潔なホテル&キャンプである。

 

田舎小旅行の第2夜はハラホリン(旧名カラコルム)から50キロ、ウランバートルから400キロの<ドリームランドリゾート>である。現地では朝青龍の親族が経営していると言われている。

2列に並んでいるのがゲルホテル、

左側手前の巨大なゲルはバーカウンターもあるレストランゲル。

 

右手水色の屋根はトイレ洗面ゲルで私は夜中に1回使用したが、そのとき私のゲルの入り口に若い女性が立っていたので驚いたが、前日のゲルで夜中にストーブの火をケアしてくれた少女と同じで、外国人の宿泊者をケアしてくれているのだと直ぐ理解した。

木造2階建てのホテルとゲルホテルの両方があり、私たちはデラックスゲルを2軒借りた。

ここはUS$42ドルで中国製のエアコンがありベッドや家具も上等品であった。 帰国後朝青龍がマスコミを賑やかすようになりテレビにも映り判明したが、将に横綱が逃げんこんだホテルであった。 

翌日は夕食の残り物で朝食を摂り、早朝6時には出発、約7時間かけて同じ道あるいはオフロードをウランバートルへ戻った。

一度だけ直線の穴のない舗装道路でRV車の運転をさせてもらった。ハンドルを握っているだけで問題はないが見通しが良く80マイルで飛ばすのは壮快であった。

 

私の泊まったゲルホテルである。デラックスゲルとスタンダードゲルの別があり、私はデラックスゲル(ツインベッド)をお願いした。

調度品は黒檀で出来ており、高級感がある。

中国製ということだった。

ベッドのほか椅子、テーブル、タンスが設置され、テーブルには飲み物のセットが用意されてあった。

昼食は立派な中華レストランで摂るともうウランバートルの街並が見えた。

市街地に入るには関所がありわずかだが税金を支払う。

 

そういう細かい支払いはすべて兄弟が出してくれたので、まるで招待旅行であるが、弟は「日本で兄が世話になっているので」と言ってくれた。Q君には日本へ来るように勧めた。

 

ウランバートルへ入る少し前で昼食を摂ることにした。高級な中国料理店に入った。

ウエイターがウーロン茶を注ぐパフォーマンスを見せる。日本では見たことがないので、パチリ。

 <ボース>という蒸した肉餃子。