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NO12-3『認知症治療病棟へ入院、今介護施設で一息』

被介護者 夫 62 介護度1→4   介護者 妻 62歳

2007年、57歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断されて5年が経過した。

 

   
2011年春から、戸外への徘徊が4ヶ月続き、同年夏からは家の中での徘徊に変った。
毎日がハイテンションで、夜中に帽子をかぶり、手をたたきながら、

時には低い声でうなりながら土足で廊下を歩く。

片方スリッパ、片方素足にスニーカーの時もあれば、
靴の左右をあべこべにはいたりしていた。

 


トイレのふたの上や玄関に放尿の跡もあった。

私は起きて夫をトイレに誘導して、寝室に戻す、を繰り返す。

睡眠不足の毎日だった。

 


夫は身体が傾斜し、腰痛を訴えるようになり、やっとみつけたデイサービスに行っても、
腰を痛がるからと途中で帰されることが増えた。

結果的に2ヶ月位しか通所できなかった。
デイサービスは、私にとって<救いの神>だったのに…。

 


 その後、夫は不穏な時が多くなってきた。ラジカセを投げる、郵便物は破く、
キッチンのカウンターに置いてある物は全てシンクへ落とす、

コップの中に靴下を詰める、水道の水を思いっきり出し、

カラン(吐水パイプ)を全力で引っ張り上げる。
シンクのステンがぺかぺかして剥がれそうだった。

 


インターフォンの受話器を床にたたきつけ、楽しそうに(私にはそう見えた)
振り子のように持て遊び、とうとう電話線を切ってしまった。
修復までの間、来客があっても連絡がとれないということが案外不便だった。

 

 


 当時の私は笑顔なんて無かったと思う。
夫のメガネはグシャグシャにされて、まるで蜘蛛の死骸みたいに小さくなった。
投げられて転がっているイス、仰向けになって脚がバラバラに壊されたテーブル。
なすすべも無く立ちつくす私をどつく。
一番可愛がっていた猫を蹴飛ばしたのを見て、もうだめだと思った。

部屋を出て廊下で声を上げて泣いてしまった。

 

 

木野先生に入院のお願いをしたのは2011年9月10日だった。
入院してからも、病院のソファーを投げたり、食事や介護の拒否も

あったらしいが次第に落ち着いてきた。

ひたすら<病棟の回廊>を歩き続ける毎日。
誰彼なく投げキッスをして、職員さん達も笑顔で対応してくれた。

 

入院して1ヶ月、10月13日には木野先生が夫の様子を見に病院までおいでくださった。
夫はその頃は既に言葉らしい言葉は話せなかったが、全身でうれしさを表して、
夫なりに「先生、ありがとうございます。」と言っているように私には思えた。

 

10月末にてんかん発作が起き、5日間ベッドに拘束され、翌年1月には歩行中に

転んだり、へたって座り込んだりして車イスに座っている時間が増えた。
このまま車イス生活になってしまうかと危惧したが、頭部を保護する為

ヘッドギアを装着し、今まで通り廊下を歩かせてくれることになった。
歩かせてくれて本当に有難かった。

今、夫が自分でできることは、歩くことだけだから…。

 

病院に7ヶ月半入院し、2012年4月、介護施設に入所した。

大きな混乱もなく落ち着いている。
相変わらずの投げキッスは、「こんにちは」「お世話になります」「いつもありがとう」
の夫の気持ちだと思う。

 

振り返るとこの一年は実に大勢の方々にお世話になった。心からお礼申し上げたい。
若年性認知症の人は「1年で3つ歳をとる」と聞いた。
これからは、残り少ない夫の日々を、いかに穏やかに過ごせるかを考えていきたいと思う。

 

 

「悪いことは起きない」
「悪いことは起きない」

毎日、このフレーズを呪文のように唱えながら…。