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NO10-2 介護は突然始まり突然終る

被介護者 妻 享年82歳 要介護5 介護者 夫 81歳

突然の始まり

私達は、平成7年11月に三島の有料老人ホーム入りました。

そして老後を二人で楽しむ事を夢に画いていました。

しかし其の2年後。

われわれ夫婦には絶対無縁とかたくなに信じていた「認知症」が同9年3月下旬。

砂山が音もなく崩れる様にその信じていた「絶対神話」が崩れ始めました。

妻70歳、私69歳。

そして狼狽  

全てに几帳面 な彼女が、投げやりになってきました。
この時既に、脳の萎縮は始まっていたのでしょう。
彼女が三島警察署に保護され、市の広報の「迷子のおばあさん」の放送で、

徘徊を知りました。

 


トイレが判らず、ところ構わずに大小便はする。
そして暴言、暴力、同じ事を何度も話すエンドレス状態等。
この状態(今思うと、私に助けを求めていたのではと思います)がこの先何年続くか

見当もつかず、今後の妻の事を考えると、今度は、私が自暴自棄になり、 

バッカスの神に救いを求めたあげく、急性アルコール中毒になり入院。

完全に生きる希望を無くし、「夫婦心中」か、私が妻のもとから脱走するか、

切羽詰つまり精神錯乱状態になりました。
 

 

結婚生活40数年、新聞記者をしていた私は彼女に頼りっぱなしの生活をして

生きてきたので、完全にパニックに。
下手したら私は犯罪者になっていたかもしれません。
その私を救ってくれたのが「ほほえみ」でした。  

救いの神は「ほほえみ」だった

平成6年6月認知症老人介護者の会「ほほえみ」を発足させた

広小路クリニックの木野先生の心のこもった一喝で、迷える老羊は迷いから覚め、

犯罪者にならずにすみました。

 

認知症に的をしぼり木野先生、はじめ広小路クリニックの辰野祐子院長先生、

看護師さん、訪問看護や施設の関係者の方が出席しての助言。 

又お互いに本音で話し合えるし、情報収集の場であり、介護の勉強会場でもある

「ほほえみ」の会に幸いにも入れて頂きました 。

お陰で多くの認知症の家族の方が悩み等を解決され救われています。

 


  私達夫婦が救われた代表的な事項を挙げますと
★ 妻が認知症である事を公開して、私は肩のおもりを下ろす事が出来ました。
  馬鹿な話ですが、当時は隠す事に神経を使っていました。
★ 平成16年7月彼女が介護室で転倒事故に会った時、その対処方法
★ 同年8月の「急性呼吸不全」で人工呼吸器装着の是非のアドバイス
★ 退院後の訪問マッサージの手配
★ 同19年10月の誤飲性肺炎で緊急入院の際のアドバイス等々
★ 大きな病気で入院した時や、延命装置等の素人にはよく判らない話の時には、

  木野先生が必ず妻の入院先まで来て、妻を診ながら素人にも判りやすい説明で、

    私に勇気と気力等を与えて頂きました。
★ 木野先生が彼女の主治医の時は、退院したら必ず、担当者会議をやってもらいました。 家族にとって、今後どの様に対処したらよいのかの大きな指針になり、心が安定しました。

私も60数年間の喫煙も木野先生のお陰で、現在7年余禁煙しております。

そして私は、「ほほえみ」の会の方によって「声門ガン」を早期に発見する事も出来ました。

私の一番苦手としていたパソコンも平成15年8月の下旬から習い始めました。まさに75歳の手習いでした。そして、携帯電話歴も9年余になります。

これらは全て、彼女に役に立つ情報を得てグットな時間を彼女にプレゼント出来る事を願ってでした。

このキッカケを与えてくれたのも「ほほえみ」でした。

満足の介護

19年11月6日(妻の80歳の誕生日)に誤飲性肺炎を防止する為第二の口と言われている「胃ろう」を造設。
「胃ろう」との関係かどうかよく判りませんが、タンを吸引しなければならなくなりました。

タンの吸引は口からでしたが、管を入れると噛むので、私の指を使いました。

そのお陰で私は指をよく噛まれました。

そこで、今年からは「鼻」から管を入れてタンを採るのが目標でしたが、とうとう出来ませんでした。

 

使用していない「口」に6本の歯がありました。歯と歯茎を吸引ブラシと指に

ガーゼを巻いて口腔ケアをしましたが、私の思う通 りには「口」を開けてくれず、苦労をしました。

だが「ほほえみ」のお陰で、楽しい介護が出来たと思っております。

 


毎日、朝6時から夜は8時か9時まで8回から10回彼女に会いに行きました。

「便」の処理の手伝い、経管栄養の投入、かん水の補給等、

私は時間を作っては「彼女の安心した様な顔を見たさに」なるべく私がやる様にしておりました。

 

お天気のよい日には、必ず、外を散歩して、老人2人虫干しをしながら、話しをしました。彼女からの返事はありませんが。
環境によって、人間はこんなに変わることが出来るのだと自分自身ビックリしました。

介護とは、施すのではなく、<優しく寄り添う事>だと思いました。

 

今月(7月)に初めて出席された方で実母の介護の苦悩、やり場の無い気持ちなどを伺っていて、私の狼狽の時期とかさなり、言い知れぬ 懐かしさと同時に後悔の気持ちになり

少なからず複雑な心境になりました。  

あの時、何故今の様な気持ちになれなかったのかと

これからは介護で苦しんでいる方に少しでも私の今までの介護経験がお役に立つ様に

「ほほえみ」の会の新人<OB>として、今までのご恩返しの真似事でも出来ればと、

これからも「ほほえみ」に関っていきたいと思っております。

突然の終わり

 平成22年6月8日

 朝7時異常なし、タンを取ってから、かん水を彼女の胃に流す。結果的にはこれが最後の別れの「水」となりました。
8時に行くと口からアワを出していました。アワを出していたのは既に4回から6回経験していたが。今日のアワは何時もと違っていた感じ。顔面蒼白。 すぐ病院へ搬送。

  人工呼吸や心臓マッサージ、そして点滴等の手当てをして蘇生に向けて先生方が努力して下さいましたが、彼女は既に蘇生する力がなく、先生方の努力も空しく8時半過ぎ「急性心不全」で、永久の旅に出かけてしまいました。

 永別の儀式には、ほほえみの会の方が、早朝にも拘らず、彼女に最後の別れの為にお出で頂いた時、ほほえみの会の真のすがたを見ました。

わたしの落ち込んでいる気持ちを、穴から引き上げて頂きました。
有難う御座いました。助かりました。
人間とは、弱いものとつくづく痛感致しております。

 

私の介護の疲れ、そして余命年数等を察知して彼女は、私を介護生活から解放してくれたのではないかと、

私なりに勝手に解釈しております。
前日まで、2人で散歩を愉しんでいたのに、残念。

 長い時間苦しい思いをしなくて、旅立ったと思うと少し気持ちが楽になりますが、

約1時間以内でこの世から浄土に行ってしまいましたが、せめて、2日か3日の時間が欲しかった。

 約13年3カ月、自分の思う様にならず、終末期には、自分の意思表示も出来ず、

身体を触られるたびに、苦痛を味わい辛かったと思う。

でも、私の介護に応えてくれる為に頑張ってくれた事に感謝し、心からお礼を言いたい。有難う。
今でも、ふと思い出すと、もっと彼女の身になって介護が出来なかったかと後悔をしております。


コメント

介護は突然終わります。その時介護者はいかなる感想を抱くのか、この一文は介護者にも介護をいまだ経験していないあなたにも心に響く文章だと思います。こうして一つの介護は終わったけど、進行形の介護者に繋がっていく介護の形を見せてくれました。筆者はこれからは「アドバイザー初心者」として現役の介護者に寄り添っていくことを宣言しています。これこそは「ほほえみの会」の真髄でしょう。

(広小路クリニック理事長・木野紀)